| 衰荷 浜田泰介 ここ十五年ほど寺の襖を描いてきた。京都の大覚寺、醍醐寺、東寺、それに故郷の四国八十八カ所の中の八栗寺、屋島寺などだが、現在制作中の他の寺のものも入れれば結構な数になる。 昨春、完成させた東寺の観智院の襖絵の後、続けて東寺の大日堂内部の壁画にとりかかろうとしたが、テーマを決めるのに手間取ってしまった。頭の中で描いては消す作業を繰り返した。 一年以上悩み続けたが、先日やっと消えない絵が浮かんだ。 東寺観智院の襖絵の中にも蓮を描いたが、それは花が終わり葉っぱも枯れ始めた初秋の蓮だった。この次は花を咲かせようと思った。 蓮の花を大日如来の安置されたお堂の内部全体に咲かせることにしたが、ただ一面に蓮の花を咲かせるだけでは面白くない。初夏の青々した葉っぱだけの時、そして蕾ができ少しずつ大きくなり、やがて大輪の花を次々に咲かせ、最後には枯れて茶色の葉っぱだけが残る、ひと夏の短い蓮の一生を描き出したいと思った。 蓮はインドの国花になっているくらい、仏教と縁の深い花である。寺の本堂などに描かれている絵の中でも、蓮や天女の絵が圧倒的に多い。しかし、私が描こうとしている蓮はそれらとは全く違うものである。「モネの睡蓮みたいになるの?」妻が訊くので「モネか。あんなものよりずっといいものができる」と答えた。普段なら「またまた、そんなえらそうな」とか「未来の国宝ってことね」などと茶化す妻が、いつになく素直に「私もそう思う」と言った。 蓮の一生の最後の場面のタイトルだけは決めた。衰荷(すいか)。枯れ果てた蓮の状態をいう言葉だそうだ。その言葉の響きが気に入り何度か口に出してみたら世紀の傑作が生まれそうな気分になった。 こうなったら、もうやるしかないではないか。 |